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建宗寺ブログ

納骨とは?

ブログ, 樹木葬

納骨ってそもそも遺骨を埋葬するのはどうして行うのでしょうか
もともと先祖代々のお墓があるから?
みんながやってるから?
どうしてなんでしょうか?

その意味をお話しする前にわたしが納骨堂を作った訳はというと、30年も前のことですが、檀家さんから相談を受けました。うちには娘が二人でいずれ嫁に行くからご先祖を守っていけなくなるのでどうしたら良いか悩んでいます。いま自分の両親の遺骨を持っておりお墓を建てるかどうしたら良いでしょうか?

この時点では建宗寺の納骨の選択肢は先祖代々のお墓を建てて納骨することしかありませんでした。
わたしはその時何かお応えできないかを考えました。

たまたま、本堂併設の開山堂の老朽化のため改築案が持ち上がりました。折角改築するなら多目的な空間にしたいと思いました。そこで歴代住職を安置する他に檀信徒の先祖代々を安置しさらに納骨ができるように設計しました。
これが今ある本堂納骨堂となりました。当時はまだお堂の中に遺骨を納めると言うのはあまり聞いたことがありませんでしたが、最初に納骨されたのはご相談を受けた方でした。
納骨されたのはずっと持って悩んでいたご両親の遺骨でした。今はその方もお骨になられ納骨堂に入られています。
そしてご遺族となった娘さんがお参りされています。
因みに建宗寺ではお骨は大地に還すという考え方を守っておりお骨は大地と繋がった土の上に納るように造られています。

さてどうしてお骨はお墓に入れるのでしょうか?
先ほども少し触れましたが儒教の思想と仏教が混ざった概念に基づいています。
そもそも仏教ではお墓という概念は存在しなかったと言われています。仏教がインドから伝わってくる間に中国の儒教思想が交わりお墓つまり埋葬するという習慣が合わさり日本に伝わってきたということになります。

儒教は親への孝の思想を教えるものです。親の遺骨を気が良い場所に埋葬することで子孫に良い徳を巡らすという考え方があります。
https://biz.trans-suite.jp/6914

それ故、理にかなったお墓を建てることで今を生きている子孫が安心した生活を送ることができるという教えに基づいています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ 孝


現在の日本でのお墓事情の中にあってもこの思想を踏襲したお墓にしていきたいと考えております。
従って建宗寺の納骨堂も土に還るというコンセプトになっているというわけです。

さて時は過ぎ時代は変わり葬送に対する考え方がおおきく変わりました。
今ではお墓を建てるという考え方も随分変わってきました。
核家族が当たり前になり自分の家を持ってその家からはまだ葬儀を出したことがないというのがほとんどです。
実家には仏壇があってもなかなかお参りできない。
となるとそういう環境で育った子供たちは尚更手を合わせる機会がなく手をあわせることをしないで大きくなる。こういう連鎖が現状を作ってきたのだと思います。
しかし、誰しも両親はいます。その両親にも親はいます。自分が産まれるには2代前から6人のルーツがあります。
わたしはご先祖の法要の時に今貴方がいるにはお爺さんお婆さんまで遡るだけでも6人の方がいます。少なくとも亡くなっていようが生きておられようがちゃんと誰かはわかっておいてください、と。
人が亡くなると葬儀をします。葬送は亡くなった方への感謝を伝えます。つまり残された自分達がそこで区切りをつける儀式です。
家族葬という言葉が流行っていますが葬儀の大きさではなく、その意味を全うするように建宗寺では考えて執り行うようにしております。
さて葬儀の後遺骨になられたご先祖様はどこに行かれるのでしょうか
これには本当に行った方のお話を聞くわけにもいかず、遺骨はただの物で魂は別物という解釈もあるでしょうし、遺骨そのものをイコールとする考え方もあるでしょう。
いずれにしても粗末に扱っていいものでは決してないはずです。
これは日本人として育った文化や生活習慣の中に根付いているもので誰しも同じように持っている感覚で理屈ではありません。
ご遺骨を納める時期は人それぞれでいいと思います。
いずれは土に還していただくのがよろしいかと思います。
https://jumokusou.kensouji.com/


建宗寺の納骨の選択肢は
本堂位牌納骨堂
樹木葬
先祖代々墓

現代のお墓事情に鑑みてご相談させていただきたいと思います。

住職から

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こんにちは。今回は前回の副住職のではなく、住職についてのインタビューをまとめさせていただきました。ぜひ一度読んでみてください。

建宗寺が開かれたのは、大治町史によると平安時代だそうです。そのころから数えると、実に1000年の歴史を刻んでいることになります。私で27代目の住職となり、副住職の息子が28代目を担うことになります。こう言うと、代々親子によって引き継がれてきた寺だと思われるかもしれませんが、そうではありません。私たちの宗派である曹洞宗いわゆる禅宗は、もともと師匠と弟子の間で受け継がれてきました。いまのように、子が親の後を継ぐ形になったのは最近です。私は、歯科医と住職を兼任しています。寺を維持し、生活を守るためには、僧侶のほかに仕事を持つ必要があったため歯医者の一面をもちながらお経を読んで参りました。しかし、振り返ってみると、守り一辺倒で、寺として地域に出ていく積極的な活動はやり切れていなかったと感じています。そこに目を向け、寺の活動を広げる挑戦をしようとしているのが、後継である息子の28代目です。 そもそも、私が寺を受け継いだのは、祖父への恩返しの気持ちがあったからです。祖父は現在の私と同じように、教師をしながら寺の住職を務めるという二足 のわらじを履いていました。本来なら息子、つまり私の父が後継ぎでしたが、寺とはまったく違う道に進んだため、孫の私が後継となったのです。 祖父は、私が大学の歯学部に進学する費用を出してくれました。当時、歯学部は大変な人気で、誰でも行けるところではありませんでした。祖父が教師の仕事で家計とお寺を守ってくれたおかげで、いまの私があるのです。その感謝を、いまでも忘れてはいません。 祖父は、私が修行を終えて寺に戻った3年後、安心したようにこの世を去りました。私が28歳のときでした。私が若くしてお寺を継いだのには、こうした理由があります。 40年近く僧侶をしていると、ご家族の世代交代や時代の変遷などが垣間見えてきます。最近特に思うのは、仏壇のないご家庭が増えたこと。「置く場所がないから」と言って、親族の遺骨を斎場に置いて帰られる人もいると聞きます。 私は思います。こうして私たちが存在しているのは、ご先祖さまがいてくれたからだと。弔いは、それを改めて思い起こすとき。どんな形であれ、生んでもらった感謝を表してほしいと願っています。そのお手伝いを、私たちお寺にさせていただきたいというのが切なる想いです。 仏教には、何十にも及ぶ宗派があります。しかし、もとをたどればみな同じ仏教。宗派を問わず、さまざまな方に来ていただけるお寺でありたい。これから先、どんなに代が変わっていこうとも、皆様の心のよりどころとして、地域に必要とされる建宗寺でありたいと思っています。

いかがでしたでしょうか。実は私だけではなく住職と違う職業をもっている方はたくさんいらっしゃいます。「坊主丸儲け」という言葉があり、一般の方の中にはお寺の人イコールお金を持っていると思われている方がいますが、実際にはお寺以外でも収入を得ているお寺が全体の3割ともいわれており、今は「檀家離れ」、「お墓じまい」など決してお寺の業界は以前と比べても良い状況とは言えないと思います。しかし、だからこそ私たち宗教者は仏教を通して何が出来るか、何を伝えるかを問うべきだと思います。また、お寺をどんな場所にするか今まで以上に考えるべきだと思います。建宗寺としてこれから先、時代の変化でお参りの形や供養の形が変わっても、先祖を敬う気持ち、それを通して今の自分を大切にする気持ちを育てられるような寺院を目指したいと思っています。ぜひお近くを通った際には一度お立ち寄りくださいませ。

副住職から

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こんにちは。先日私と住職のこれまでや想いを専門の方がまとめてくださいました。せっかくなので、ここでもご紹介していきたいと思います。興味ない方も多いとは思いますがお付き合いくださいませ。今回はまず副住職からご紹介していきます。

・なぜ建宗寺を継ぎ、この世界に入ることになったか

私はいま、建宗寺の後継として毎日お勤めに励んで います。「お寺を継ごう」と決意したのは25歳のとき。 何をして生きるかではなく、どんな想いで生きるかが 重要だ、ということに気づいたからです。 建宗寺では、人とペットが同じ場所に眠る「樹木葬」 や、ペットを人と同じように供養する「ペット葬」を行っています。こうした取り組みを行っているのは、 悲しみにくれる方々の〝生きる支え〟になりたいという想いがあるから。死を通して「大切な人といっしょにいられる有り難さ」を感じられる場をつくりたいという情熱が、私を突き動かしています。

・いったい誰のために働くのか

かつて私は、寺とは無縁の生活を送っていました。 小学生のころからスポーツ少年で、大学生の時はハンドボールで全国準優勝を経験。卒業後は人材派遣会社 に就職し、朝から晩まで営業で走り回っていました。 過酷な職場でしたが、仕事自体は楽しいものでした。しかし、なかば強引に人材を紹介する当時の業界体質に疑問を持ち、「いったい誰のために働いているんだろう」と悩むようになりました。どうせ仕事をするなら、自分も相手も喜ばせる仕事に就きたい。そう考えていたとき、父から「寺を継ぐ気はないか」と告げられました。父は、僧侶と歯科医の二足のわらじで建宗寺を支えてきました。その想いがどんなものだったか。そこに気づいたとき、私は父のすごさに感動しました。そして「寺の息子として生まれた自分にしかできないことがある」と考えたのです。

・修行中にあった人生のターニングポイント

私は僧侶となるため、他の寺で半年間修行しました。ところが、それがあまりに厳しく、1週間で逃げ出 したくなりました。そんなある日、母が私の大好物で あるシュークリームを差し入れてくれました。 「いいお母さんですね」。先輩の僧侶にそう言われたとき、涙がこみあげてきました。修行に出る前は、冷蔵 庫にシュークリームがあるのが当たり前でしたが、苦しい修行の場でのシュークリームは、どんな物よりも有り難いものでした。「当たり前だと思っていたことは、当たり前ではないんだ。すべてが有り難いことなんだ」。そんな感謝の念がわき上がってきました。

・お寺の存在する意味

多くの方は「寺は亡き人のためにある場所」と思われているかもしれませんが、私は、お寺は生きている人のためにあると思っています。葬儀後、ご遺族に法 話をしたとき、「良い話を聞けて目の前が明るくなり ました」と言っていただいたことがあります。お経だけでなく、人の心を救う法話が、今を生きる方に必要 だと感じています。 全国にあるお寺は、コンビニよりも多いといわれています。ここが「感謝が芽生えて気持ちがラクになる 場」になれば、多くの人の助けになると思います。心の響く法話を届け、皆様に「ここが必要だ」と思っていただけるよう精進致します。

最後まで読んでいただきありがとうございました。自分で読んでみても初心を忘れないように日々努めないといけないなと思いました。皆様も自分のエピソードや、大事にしている想い出、言葉たくさんあると思います。人間は忘れてしまう生き物です。一度こうしてなにかにまとめてみたり、思い出す時間を設けてみてはいかがでしょうか。もしかしたら、改めて思い出してみるとそのときに感じたこととは違うことを感じるかもしれません。自分のルーツを知り、今後の人生に生かしてみてください。

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