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こんにちは。副住職の舟橋憲吾です。今年も早くも3月に突入しました。あたたかくなってきたのはとても嬉しいですが、個人的には花粉症が辛い時期でもあります。さて、本日のテーマですが今回は私が好きな言葉、生きていく上で大事にしている言葉を2つご紹介していきたいと思います。さっそく1つ目ですが、「自未得度先度侘」という言葉です。これだけ聞くととても難しい言葉のように聞こえてしまいますが、意味はわりとシンプルで「自分よりも先に他人に施しをする」というような意味です。では、なぜ他人のために行動するのか、きれいごとではなくこの言葉を実践する理由を表した例えがありますので、想像しながら読んでみてください。目の前に大きな川があり向こう岸には裕福な町、食事や楽しい事、いわゆる理想郷と呼ばれる場所があるとします。当然、誰もが向こう岸に行きたいと望むと思いますが、向こう岸に行くための橋は一本しかなく、また一人ずつしか渡ることができません。自分が渡りたい気持ちを抑えて周りの方にどうぞと譲っていくとどうなるでしょうか。少し考えてみてください。どうなるかというと、譲っていくとこちらの岸には譲り合いの心がある方が残ります。要は、こちらの岸が理想郷になっていたという例えになります。私は初めてこの例えを聞いたとき非常に感銘を受けました。僧侶としてこの例えに一つ補足をするとするならば、「してあげてる」という気持ちではなく、「させてもらっている」という気持ちでこの言葉を実践することだと思います。「してあげてる」と思って行動してしまうと、見返りを求めてしまったり、「私はこんなに頑張っているのに・・・」となってしまいます。逆に、「させてもらっている」と思うと、何事にも感謝しながら行動することが出来ます。とはいえ、なかなかこの気持ちを持ち続けることは簡単ではありません。かくいう私もそのような気持ちで動けないことも多々あります。しかし、この気持ちを持とうとするのが、あるのと、ないのとでは大きな差がありますので是非意識してみてください。私が考えるコツは「してあげてるのに・・」と思ってしまったときは一度深呼吸して今自分がそのような精神状態であることを自覚すると良いと思います。では、2つ目の言葉です。板橋興宗禅師が残された、「猫を叱る前に魚をおくな」という言葉です。こちらも私が生きていく上で大事にしている言葉の一つです。生きているとさまざまなイライラ、不条理と感じること、思い通りにならないことがたくさんあります。すべてのものには、「結果」だけではなく「原因」が存在します。まずは、原因に目を向けることをしてみてください。原因を考えたときに自分に何かできることがあるはずです。猫が全部悪いのではなく、猫がとれるような場所に魚を置いた自分に問題はないでしょうか。そんなときに、「だれだれのせいで」、「あの人は気に入らない」という発想ではなく、自分がもっとこうすればよかったという発想で生きることができればイライラや怒りの感情は劇的に減ります。しかし、これも実践することは簡単ではないと思います。ですので、こちらもコツをお伝えします。コツは先程の言葉のときと似ていますが、イライラした感情に自分がなったときにこの言葉を思い出すことです。この言葉を知っておくこと、考え方が少し頭にあるだけでも違うと思います。そして、もう一つは、「他人は自分ではない」ということを認識することです。例えば、車を運転していて割り込み運転をされたとき、「この人はもしかしたら出産間近の奥さんのもとに急いでいるのかもしれない」などちょっとその方のことを想像するだけで怒りは減りませんか?考え方ひとつで感じ方は変わります。ぜひ実践してみてください。今回は、私が大事にしている言葉を紹介しました。宗教は、「どう生きるか」を伝えるものでもあります。ぜひ興味のある方はそんなことも含めて触れてみてください。ありがとうございました。
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こんにちは。今週はよく聞く四十九日についてお話しをさせていただきます。あまりなじみのない方も多いとは思いますが、実は四十九日の法要だけではなく、そこに至るまでの間、七日毎にも法要があります。では、それぞれどんな意味があるのか。法要の名前も含めてご説明していきます。最初の初七日を「初願忌」といい、「故人の恩に報いるため、残された私たちで仏の教えに努めよう」という誓いの時期になります。その後の二七日を「以芳忌」といいます。芳という字は故人の生前の素晴らしい行いや積まれた徳を表していて「故人の今生の良い面を引き継く」という誓いになります。三七日は「洒水忌」といいます。水で洗い清めるという意味です。「もっとああしておけば、どうして死んでしまったのか、後悔の残らないように洒水をする戒めのタイミングになります。四七日は「阿経忌」といいます。阿とは従うということです。仏の教えに従うという誓いです。五七日は「小練忌」といいます。練とは気持ちの整理の度合いを表しています。故人の死を深く背負い続けるのではなく、すべての命が死を迎えることをきちんと理解をしましょうという教えになります。六七日は「檀弘忌」といいます。檀は施しのこと、弘は広くという意味になります。故人の死から教えてもらったことを踏まえ、多くの人に「人の悲しみがわかり、優しい人間であれるように」という誓いです。最後の七七日、四十九日と同じときですが、「大練忌」といいます。しっかりと気持ちの整理がつき、忌明けを迎えた旅立つ故人に感謝で送る日になります。また、百か日、約三か月ちょっとのタイミングを「卒哭忌」といいます。卒は終える、哭は声をあげて泣くということです。百か日には声をあげて泣くことを終えて、故人の為、自分の為に人生をよく生きてください」という日です。それぞれざっくりご説明させていただきました。難しく感じる供養の名前も多いと思います。今ではこの法要を七日毎に行う家庭もかなり減りました。しかし、忘れないで欲しいこと大事にして欲しいことは、中身を理解することで故人、自分とどう向き合うかだと思います。時代がいくら変わっても「自分」という存在が父親、母親、おじいちゃん、おばあちゃんとつないでもらって今があること。「人間」という存在が他の生物からエネルギーを頂きこの環境で共存していることは変わりません。故人も生前、生きていることが「当たり前」の存在であったと思います。そんな当たり前が死を迎え今日という日を迎えています。「今」という時間、「当たり前」を「当たり前」と思わず感謝や施しの精神をもてるか。四十九日までに至るまでには、そこに気付き故人への想いを表現するプロセスがあります。それは決して故人の為だけではありません。皆さんの中にもお気づきの方がいらっしゃると思いますが、上記で挙げた供養の名前、意味は「故人」に向けたものではなく、今生きている「私たち」に向けた、教えであったり、心構えであったり、悲しみを和らげるものです。供養を通して、何を感じ、どう人生に生かすかというのがとても重要です。「供養」や「葬儀」の時間は日常の当たり前の時間の尊さが浮き彫りになるタイミングです。残された皆様にとってそんな当たり前に気付けたとき今までとは違った景色が見えると思います。隣にいてくれる方、日々食べる食事、何気なく使っている携帯電話など。そんな一つ一つのものから感謝出来るようになると毎日が晴れやかな気持ちで過ごすことが出来ます。故人から教えてもらった今という尊さに気付き改めて身の回りの方に「ありがとう」と伝えましょう。毎日の「ありがとう」が増え、気持ちの良い毎日をお過ごしください。
ペット葬儀
こんにちは。副住職の舟橋憲吾です。ここでは、建宗寺が執り行っているペット葬儀や火葬について、簡単にご説明させて頂きます。本日は建宗寺のペット葬儀についてお話しさせていただきます。まず建宗寺のご紹介ですが、愛知県海部郡の大治町にある約1000年続くお寺で御座います。そんな中、なぜペット葬儀をさせて頂いてるかお話しさせていただきます。ペットは家族と聞くと当たり前に聞こえるかもしれませんが、供養や葬儀の現場ではまだまだそこには至っていないと感じています。今、ペットのお見送りは火葬のみという方が多くの割合を占めています。もちろんそのこと自体には何も問題はありません。私たちが問題だと思っているのは、知らずに、わからずに供養を選んで後悔をされている方がたくさんお見えになっているということです。建宗寺にもそのような方から多くの後悔のお声を耳にします。葬儀や供養というのは、ペットを見送る大事な儀式であると同時に飼い主様にとっても特別なお時間です。お寺の中で大事な家族であるペットとの思い出を感じながら大事な家族に想いを伝え、儀式を執り行うことは、その後の後悔をへらし、一緒に過ごした想い出をより美しくするのではないかと思っております。
だからこそ、建宗寺では他の寺院様や火葬をされている会社様とは異なり個別での葬儀、火葬しか執り行いません。そんな建宗寺のペット葬儀に流れを簡単にお伝えします。建宗寺の供養は大きく3つに分かれます。1つ目が葬儀、2つ目が火葬、3つ目が納骨です。
3つ目の納骨に関しては希望の方のみですがそれぞれの流れについて詳しくご説明します。
まず1つ目の葬儀ですが、人間の葬儀と同じく、お寺の本堂の中で執り行います。この本堂は人の法事や法要を執り行う環境で、お経に関しても家族の葬儀に近い形で執り行いますのでご安心ください。また、個別葬儀で30分前後お時間いただき丁寧に、ゆっくりお勤めします。そして葬儀の後は、大事なペットにお別れの言葉をかける時間や、触れ合いのお時間をご用意しています。精一杯ペットにお言葉お伝えいただいた後、2つ目の火葬に移ります。火葬に関しては、建宗寺の敷地内にある火葬車で個別での火葬で執り行いますので、移動もなく飼い主さまにとって負担が少ない形になっています。皆様からご遺骨は還ってきますか?遺骨は私たちで拾うことは出来ますか?とよく聞かれますがどちらも問題御座いませんのでご安心ください。遺骨は骨つぼにてお渡しします。骨拾い、骨壷いずれもお布施の中に含まれています。火葬の後ご遺骨を持ち帰りたい方はここで供養は終了ですが、その後納骨希望の方に関しては建宗寺のお堂の中にて納骨をします。納骨のお経を読経後、納骨棚にお納めします。納骨の方法は骨つぼのままお預かりという形をとらせていただきますので、もし仮にその後やっぱり家に持ち帰りたい、樹木葬にうつりたい、埋葬したい、など思いが変わった場合でも対応することも可能ですので、お気軽にご相談ください。
以上が建宗寺のペット葬儀の流れになります。最後にペット葬儀のお布施についてお話しします。建宗寺のペット葬儀は1つのプランしかありません。個別葬儀と個別火葬がセットになったプランです。このプランは大型犬を除き一律35000円でのご供養となります。それ以外のお布施や志はお断りしていますのでご理解をお願いいたします。建宗寺は珍しく、他の寺院様や火葬をされている会社様とは異なり個別での葬儀、火葬しか執り行いません。ペットを家族と同じように見送りたい、飼い主様にとって後悔ない特別なお時間にしていただきたいからです。葬儀もペット葬儀業界では珍しく30分前後お時間いただき人に近い形でゆっくりとお経を読ませていただいています。火葬に関しても、骨拾いや骨壷は金額に含まれていますので、基本的にプラスでかかる費用はありませんのでご安心ください。また、納骨に関しても永代供養で毎年かかる管理費用等はとくになく初回のお経を含めた納骨費用の30000円で永代的にお寺で守っていきますのでそこもご安心ください。ペットにとっても飼い主様に寄り添える寺院を目指しています。もし、お困りごとがあれば、相談だけでも構いませんのでご連絡ください。以上が建宗寺のペット葬儀の説明でした。皆様が納得されるお見送りになることを祈っております。