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お寺葬儀とは?

お寺葬儀とは?

お寺葬儀

こんにちは。本日はこのテーマについてお話しをさせていただきます。よくお寺葬儀って具体的にはどういったものなんですか?と聞かれることがあります。お寺葬儀とは、「お寺でお葬式をするということです」そのままですね。現在、葬儀というと多くの場合、葬儀会社様の会館で執り行われるのが一般的です。以前はお寺で葬儀をすることも多かったですが、今では僧侶の方や僧侶の方の身内の方などの特別な場合を除きそのような形になっています。では、葬儀会社様とお寺で葬儀をするケースでどう違うのか、そこをお伝えします。ただし、一口にお寺といっても住職の考え方次第で内容やお布施が変わってきてしまうので、今回は建宗寺との比較にさせていただきます。まず、葬儀会館のメリットとしては、会館の建物がお寺と違い比較的新しくきれいです。お寺というと木造で古くからある建物ですので、新しさで比較すると劣ってしまいます。中には、その趣を求めていらっしゃる方も多い(私もそのうちの一人ですが)ので人によって良しあしは別れるとは思います。二つ目のメリットとして会館数が多く、自分の希望するエリアでお見送りすることができます。建宗寺で葬儀をする場合、場所は限定されてしまいます。しかし、会館の場合はどのエリアであっても建物があります。家から近くで見送りたい方や移動に困っている方にとって大きなメリットであると言えると思います。また昨今では家族葬や社葬、お通夜がない告別式のみの葬儀など見送りの形も大きく変化してきています。その中で家族葬専用ホールなどそれぞれのお見送りの形にあった斎場を選べるという点も葬儀会館ならではのメリットと言えます。三つ目のメリットとしては実績数が多いという点です。やはり年間で葬儀の場に立ち会う回数は葬儀会館の方が多いので、そこに安心感を覚える方には会館があっているのではないでしょうか。以上三点、私が思う会館で葬儀をするメリットをお話ししました。そこを踏まえて建宗寺のお寺葬儀のメリットをお話しします。一つ目のメリットとしては葬儀の費用を抑えることが出来ることです。なんで?と思う方もいると思いますが、葬儀の費用は基本的には「葬儀会社に支払う費用(祭壇、お花、仏具、霊柩車、スタッフなど)+寺院へのお布施(付き合いのあるお寺がなく、お寺を呼ばない場合はこちらは発生しませんが、日本の葬儀の多くの場合、どこかの寺院がお勤めをします)+返礼品など別途発生するもの」の三つで構成されます。一つ目の葬儀会社に支払う費用のうち祭壇は建宗寺の場合では、本堂を使ったり建宗寺内にあるホールで葬儀を執り行い、お寺を使う会場代としては受けとっていないので結果費用を抑えることができます。二つ目のメリットとしては、葬儀、四十九日、お墓、その後の不安まで一貫してお聞きすることが出来ます。みなさん供養や葬儀と聞くとなかなか普段なじみのない方が多いのですが、みなさん一人一人に合った供養をお伝えすることが出来ます。(供養の押し売り、寄附の要求、檀家の強制などは一切御座いません)葬儀の前から、見送る僧侶の方の顔がわかるのは安心感にもつながると思います。三つ目のメリットとしては、やはりお寺という環境で見送ることが出来ることです。建宗寺の場合、約1000年の歴史がある寺院です。そのような空間の中で見送ることができるのは故人様にとってだけでなく、遺族の方にとっても特別なお時間になると思っております。以上三点が建宗寺の葬儀のメリットです。いかがでしたでしょうか。ある統計をみたら葬儀の際に内容や費用などさまざまなことで後悔されている方の割合が50%以上もありました。「もっとお花を多く飾ってあげたらよかった」、「故人の友人も参列してもらえばよかった」、「ここの会館、寺院にお願いしたらよかった」など人によって後悔は違います。供養は故人のただけのものではありません。故人、遺族の方にとって幸せな最期の見送りになれば、場所や費用、内容は人それぞれで違ってもいいと思っていますので、そんな形をみなさまが見つけられることを祈っております。

供養の意味 ~四十九日編~

お寺葬儀, ブログ

四十九日までの間に七日毎の法要があります。
最初の初七日を「初願忌」といい、「故人の恩に報いるため、残された私たちで仏の教えに努めよう」という誓いです。その後の二七日を「以芳忌」といいます。芳という字は故人の生前の素晴らしい行いや積まれた徳を表していて「故人の今生も良い面を引き継く」という誓いになります。三七日は「洒水忌」といいます。水で洗い清めるという意味です。「もっとああしておけば、どうして死んでしまったのか、後悔の残らないように洒水をする戒めのタイミングになります。四七日は「阿経忌」といいます。阿とは従うということです。仏の教えに従うという誓いです。五七日は「小練忌」といいます。練とは気持ちの整理の度合いを表しています。故人の死を深く背負い続けるのではなく、すべての命が死を迎えることをきちんと理解をしましょうという教えになります。六七日は「檀弘忌」といいます。檀は施しのこと、弘は広くという意味になります。故人の死から教えてもらったことを踏まえ、多くの人に「人の悲しみがわかり、優しい人間であれるように」という誓いです。最後の七七日、四十九日と同じときですが、「大練忌」といいます。しっかりと気持ちの整理がつき、忌明けを迎えた旅立つ故人に感謝で送る日になります。また、百か日、約三か月ちょっとのタイミングを「卒哭忌」といいます。卒は終える、哭は声をあげて泣くということです。
百か日には声をあげて泣くことを終えて、故人の為、自分の為に人生をよく生きてください」という日です。
今ではこの法要を七日毎に行う家庭もかなり減りました。しかし、忘れないで欲しいこと大事にして欲しいことは、中身を理解することで故人、自分とどう向き合うかだと思います。時代がいくら変わっても「自分」という存在が父親、母親、おじいちゃん、おばあちゃんとつないでもらって今があること。「人間」という存在が他の生物からエネルギーを頂きこの環境で共存していることは変わりません。故人も生前、生きていることが「当たり前」の存在であったと思います。そんな当たり前が死を迎え今日という日を迎えています。「今」という時間、「当たり前」を「当たり前」と思わず感謝や施しの精神をもてるか。四十九日までに至るまでには、そこに気付き故人への想いを表現するプロセスがあります。
それは決して故人の為だけではありません。残された皆様にとってそんな当たり前に気付けたとき今までとは違った景色が見えると思います。隣にいてくれる方、日々食べる食事、何気なく使っている携帯電話など。そんな一つ一つのものから感謝出来るようになると毎日が晴れやかな気持ちで過ごすことが出来ます。「幸せ」とはやっかいなことに「見つけられる人」しか見つけられません。故人から教えてもらった今という尊さに気付き改めて「ありがとう」と伝えましょう。

葬儀を執り行う意味

お寺葬儀

葬儀はなぜ行うのでしょうか。私たちの宗派でいうと大きく分けて2つあります。1つ目は別れを行う告別式。もう1つがお釈迦様のお弟子になる授戒と、引導法語を行う仏教としての儀式です。もともとは告別式と葬式は別のものでしたが、現在では一緒に行うことの方が一般的です。お釈迦様のお弟子になるためのお名前がいわゆる戒名です。引導法語とは、この世からあの世に引き渡しを行う儀式です。お葬式というのは大きくいうとこの要素で出来ています。当然僕らもこの儀式にはお坊さんとしてよく立ち会わせて頂いています。そのたびに僕自身も感じ、教えて頂くことがあります。仏教のなかの大事な教えの一つに「諸法無我」という言葉があります。「すべての物事はお互いに影響をおよぼしあっていて独立して存在するものはない」とこんな意味です。もちろん人は一人では生きていけないですし、今この自分という存在も地球の歴史の中で様々な奇跡の上で成り立っているということは間違いなく言えるでしょう。独立して存在できないものはそのようなつながりだけでなく、目に見えないもの、難しく言うと「概念」にも言えます。それは、「死」にも通じます。死という概念も生という概念があり初めて存在します。死というものは多くの悲しみ、苦しみのイメージが強いと思います。その反面、死というものは今こうして自分が存在していることの尊さ、ありがたさに気付くタイミングでもあると思います。私は葬儀は故人のためだけのものとは思っていません。仏教は言い換えると幸せの教えです。供養を通して故人には安心とや安らぎを、遺族の方にはありがとうを通して幸せになってもらう時間です。死を表す言葉に「息を引き取る」という言葉があります。これはお亡くなりになる際は息を吸うときに亡くなることからきているみたいです。あと一つ今日ご縁があって来て下さった方々が志、想いを引きとる、引き継いでいく意味でもあります。皆さんで故人の想いを引き継いで守ってくださることを祈ってます。

葬儀はなぜ執り行うのか?

お寺葬儀

葬儀はなぜ行うのでしょうか。私たちの宗派でいうと大きく分けて2つあります。1つ目は別れを行う告別式。もう1つがお釈迦様のお弟子になる授戒と、引導法語を行う仏教としての儀式です。もともとは告別式と葬式は別のものでしたが、現在では一緒に行うことの方が一般的です。お釈迦様のお弟子になるためのお名前がいわゆる戒名です。引導法語とは、この世からあの世に引き渡しを行う儀式です。お葬式というのは大きくいうとこの要素で出来ています。当然僕らもこの儀式にはお坊さんとしてよく立ち会わせて頂いています。そのたびに僕自身も感じ、教えて頂くことがあります。仏教のなかの大事な教えの一つに「諸法無我」という言葉があります。「すべての物事はお互いに影響をおよぼしあっていて独立して存在するものはない」とこんな意味です。もちろん人は一人では生きていけないですし、今この自分という存在も地球の歴史の中で様々な奇跡の上で成り立っているということは間違いなく言えるでしょう。独立して存在できないものはそのようなつながりだけでなく、目に見えないもの、難しく言うと「概念」にも言えます。それは、「死」にも通じます。死という概念も「生」という概念があり初めて存在します。死というものは多くの悲しみ、苦しみのイメージが強いと思います。その反面、死というものは今こうして自分が存在していることの尊さ、ありがたさに気付くタイミングでもあると思います。私は葬儀は故人のためだけのものとは思っていません。仏教は言い換えると幸せの教えです。供養を通して故人には安心とや安らぎを、遺族の方にはありがとうを通して幸せになってもらう時間です。死を表す言葉に「息を引き取る」という言葉があります。これはお亡くなりになる際は息を吸うときに亡くなることからきているみたいです。あと一つ今日ご縁があって来て下さった方々が志、想いを引きとる、引き継いでいく意味でもあります。皆さんで故人の想いを引き継いで守ってくださることを祈って私からのお話とさせて頂きます。

建宗寺のお葬式が選ばれている理由

お寺葬儀

理由1:名古屋駅から車で17分、駐車場完備という好立地
建宗寺は名古屋駅から車で17分とアクセスの良い場所にあります。無料の駐車場も16台ありますのでご家族が別々に来ることも可能です。

理由2:お寺を使うことで斎場代を含め費用が抑えられる
一般的に葬儀の費用は「寺院布施+葬儀会社への費用+返礼品」で決まります。そのうちの葬儀会社への費用のうち、祭壇などの場所の費用が多く含まれています。建宗寺では場所に関する費用はありませんので総合的な費用を抑えてお見送りが出来ます。

理由3:葬儀の後の法要ももちろん対応可能
お見送りの際に執り行うのは葬儀だけではありません。初七日法要や四十九日法要、納骨等といった様々な法要があります。建宗寺では来た方の想いに添った形で、皆様の供養心のお手伝いをさせて頂きます。

理由4:檀家の強制や、寄附の要求は一切御座いません
建宗寺は当寺で葬儀をお願いしてくれた方に対して、檀家や寄附の要求はしておりません。そのことが理由で、先祖への供養心が薄くなることが一番悲しいことだと考えているからです。

理由5:家族葬や告別式のみといったプランも対応
一人一人で葬儀やお見送りの考え方は違います。「身内だけで執り行いたい方」、「時間の都合上、一日葬がいい方」など、様々なご要望に対応するお見送りの形をご提案させていただきます。

理由6:宗教不問、どんな方でもお申込みができる
建宗寺は宗派が違う方や特定の宗教を持たない方でも、お申込みが可能です。

理由7:葬儀から納骨(お墓)まで一貫して執り行える
複数の種類のお墓をご用意しておりますので、葬儀とお墓を合わせてご提案ができます。それにより来てくださった方の身体的、経済的負担を軽減することが出来ます。

理由8:皆様も一緒になってお見送りし、心のこもった葬儀が出来る
葬儀など、お見送りに関して多くの方がその内容を、後悔をしているというデータがあります。建宗寺は、送り出す皆様が後悔ないように、「自分たちがお見送りをした」、「いい最期だった」と思ってもらえるような葬儀を一緒に執り行いたいと思っていますし、そのようなお声を頂いております。

理由9:お寺という空間の中で葬儀を執り行う
お寺という落ち着いた環境の中でお見送りが出来ることは遺族、故人の方にとってすごく特別な時間になると思います。建宗寺は約1000年の歴史があるお寺ですので安心してお越しください。

理由10:法事や施餓鬼など仏事の申し込みも可能
建宗寺は檀家にならなくても法要の申し込みが可能です。月命日のお勤め、一周忌、三回忌などの年回忌法要、春、秋のお彼岸の際や、お盆の時期に合わせて執り行います。