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ないものを求めるより、あるものを数えよう

ないものを求めるより、あるものを数えよう

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本日は一言法話をお届けしたいと思います。最近コロナウイルスの第二波が世界中を混乱に陥れています。こんなときだからこそ気付けることってたくさんあると思います。今日の言葉はそんな想いをもって決めました。普段、日常を過ごしていると、「いい車に乗りたい」、「将来、あんな家に住みたい」、「もっとお金が欲しい」こんな会話をすることありますよね。これは「今、自分にないもの」に対しての会話です。しかし、それの逆「今、あるもの」の会話はなかなか聞くことはないような気がしています。もちろん、なかったものを手に入れる、これも1つの「幸せの形」だと思います。しかし、それと同時に今あるものに気付くことも「幸せの形」です。また、この幸せの形は「ありがとう」も作ります。毎日、食事がたべられること「ありがとう」、あたたかいお風呂、シャワーがあること「ありがとう」、今元気に働けること「ありがとう」。僕はこう考えています。「なにかあるから幸せ」なのではなく「自分が幸せなことに気付くことが出来るから幸せ」であると。この考え方を仏教から学んで以来、身の回りのもの、日常のあらゆる場面に多くの幸せが隠れていることがわかりました。考え方、見るもので、日常は驚くほど景色を変えます。コロナウイルスは、もしかしたら僕たちが忘れかけている、そんな日常の尊さを伝えようとしているのかもしれません。こんな時期だからこそ、「ないもの」ではなく「あるもの」に目をむける力を身につけるきっかけになればと思っています。

建宗寺のお葬式が選ばれている理由

お寺葬儀

理由1:名古屋駅から車で17分、駐車場完備という好立地
建宗寺は名古屋駅から車で17分とアクセスの良い場所にあります。無料の駐車場も16台ありますのでご家族が別々に来ることも可能です。

理由2:お寺を使うことで斎場代を含め費用が抑えられる
一般的に葬儀の費用は「寺院布施+葬儀会社への費用+返礼品」で決まります。そのうちの葬儀会社への費用のうち、祭壇などの場所の費用が多く含まれています。建宗寺では場所に関する費用はありませんので総合的な費用を抑えてお見送りが出来ます。

理由3:葬儀の後の法要ももちろん対応可能
お見送りの際に執り行うのは葬儀だけではありません。初七日法要や四十九日法要、納骨等といった様々な法要があります。建宗寺では来た方の想いに添った形で、皆様の供養心のお手伝いをさせて頂きます。

理由4:檀家の強制や、寄附の要求は一切御座いません
建宗寺は当寺で葬儀をお願いしてくれた方に対して、檀家や寄附の要求はしておりません。そのことが理由で、先祖への供養心が薄くなることが一番悲しいことだと考えているからです。

理由5:家族葬や告別式のみといったプランも対応
一人一人で葬儀やお見送りの考え方は違います。「身内だけで執り行いたい方」、「時間の都合上、一日葬がいい方」など、様々なご要望に対応するお見送りの形をご提案させていただきます。

理由6:宗教不問、どんな方でもお申込みができる
建宗寺は宗派が違う方や特定の宗教を持たない方でも、お申込みが可能です。

理由7:葬儀から納骨(お墓)まで一貫して執り行える
複数の種類のお墓をご用意しておりますので、葬儀とお墓を合わせてご提案ができます。それにより来てくださった方の身体的、経済的負担を軽減することが出来ます。

理由8:皆様も一緒になってお見送りし、心のこもった葬儀が出来る
葬儀など、お見送りに関して多くの方がその内容を、後悔をしているというデータがあります。建宗寺は、送り出す皆様が後悔ないように、「自分たちがお見送りをした」、「いい最期だった」と思ってもらえるような葬儀を一緒に執り行いたいと思っていますし、そのようなお声を頂いております。

理由9:お寺という空間の中で葬儀を執り行う
お寺という落ち着いた環境の中でお見送りが出来ることは遺族、故人の方にとってすごく特別な時間になると思います。建宗寺は約1000年の歴史があるお寺ですので安心してお越しください。

理由10:法事や施餓鬼など仏事の申し込みも可能
建宗寺は檀家にならなくても法要の申し込みが可能です。月命日のお勤め、一周忌、三回忌などの年回忌法要、春、秋のお彼岸の際や、お盆の時期に合わせて執り行います。

樹木葬のメリット・デメリット

樹木葬

樹木葬のメリット

メリット➀

自然に還ることが出来るお墓である 

樹木を墓標として建てるため自然に還りたい方にとって非常に魅力的なお墓となっています。また樹木葬が増えることは樹木が増えるということなので環境保全に貢献できるという面を持っています。また、最近増えた機械式の納骨堂や埋葬方法によっては自然に還ることが難しい場合がありますのでご注意下さい。

メリット②

先祖代々のお墓よりも費用が抑えられる埋葬方法

皆さんがイメージするお墓はいわゆる先祖代々墓というタイプのお墓です。このお墓のタイプは墓石代や供養料で150万円前後、また年間管理費用も+αされていくお墓ですが、樹木葬は平均の相場が50万円程度になっています。理由としては従来のお墓よりも少ないスペースで埋葬することや、霊園や寺院によってはそもそも墓石を置かないタイプもあるからです。

メリット③

誰でも入ることが出来るお墓

樹木葬は宗旨宗派不問のお墓です。仮に寺院と自分たちの宗教は違っても受け入れて下さるケースがほとんどです。また寺院の檀家になる必要もないことが多いのでそこも安心できる点であると思います。お寺と付き合うことが事情があり難しい方もや寄附を要求されるのが怖いと思っている方は念のために寺院と相談されるのが良いと思います。

メリット④

安心の永代供養

永代供養とは寺院や霊園の管理者が親族の方に代わって管理元がなくならない限り永代的に管理することです。跡継ぎのいない夫婦の方や、独身の方にとっても安心のお墓であると言えるでしょう。今世間のニーズとして親族に負担をかけたくないという方や、核家族化が進みお参りに行く方が減っています。なので、その点でも樹木葬は時代に合ったお墓と言えるのではないでしょうか。

メリット⑤

ペットも一緒に入ることが出来る

寺院や霊園によってはペットも一緒に入ることが出来ます。近年ペットブームや、ペットロスなどの言葉を多く聞くようになり、小さな家族として考えている家庭が増えていることもありそのようなお墓も増えています。

以上が大まかにわけた樹木葬のメリットです。ただし、一口に樹木葬と言っても寺院や霊園のよって内容がかなり違いますので、事前のお問合せや見学に行かれるのをお勧めします。

 

樹木葬のデメリット

デメリット➀

親族の理解が得られないこともある

樹木葬はまだ広がっている最中のお墓です。身内の方の中には知らないケースも多いと思います。また従来の先祖代々のお墓にこだわりがある方もいることでしょう。また、タイプにもよりますが樹木を墓標とする墓石を置かない樹木葬の場合、お参りに行った実感がないという方も多いようです。あらかじめ親族の方と相談し墓地を決めると良いでしょう。

デメリット②

交通アクセスが悪い場合がある

里山タイプの樹木葬の場合、車でしか行けない場所にあることや山奥にある場合があります。冬のときは雪があり行けないこともあるみたいです。火事を防ぐためローソクや線香などの火の気がダメな場所やお供え物も禁止している霊園もあるみたいです。注意してください。ただ、近年では都心部にも樹木葬は増えているので一概にアクセスが悪いわけではなく、お供え物や火の気もすべての場所で禁止されているわけではございません。

デメリット③

景色のイメージが変わる

人によっては喜ぶ方もいるかもしれませんが、樹木葬というぐらいなので季節や天候によって樹木に変化が起こります。また、管理が非常に大変で草抜きなど、手入れを怠ると見た目が悪くなってしまいます。また、桜の木や松の木など様々な樹木がシンボルとして挙げられますが実際イメージと違うケースもあります。

デメリット④

墓石を置く場合、期間が設定されていることが多い

樹木葬の場合、墓石を置く期間が13年や33年など期間が設定されているケースがほとんどです。しかし、間違えてはならないのが永代供養の場合、その後も合同での埋葬を追加費用なしでしてもらえると思います。先祖代々のお墓の場合は期間はありません。皆さんが思っている永代供養の形であるかどうか確認が必要です。

いかがでしたでしょうか。樹木葬のメリット、デメリットをきちんと理解した上で選べると良いと思います。

建宗寺のペット葬儀への想い

ペット葬儀

建宗寺のペット葬儀に対する想いをお話しします。ペット葬儀というとだんだん皆様の認知も含め一般的になってきているのかなと思います。
しかし、ここに至るまでにいろいろな問題もありました。たとえば仏教の世界で言うと、ペット(人間ではない存在)に対してお経を読むのはちがうんじゃないかと考える寺院、僧侶の方もいらっしゃいます。また、現在はあまり聞かなくなりましたが遺骨を山に捨てたり、オプションと言って当初の費用よりも多く請求をしたりそんなこともあったようです。今ももしかしたらあるのかもしれません。
供養は亡くなった故人、ペットのものだけではありません。家族含めた関わったすべての方のためのものでもあります。
そんな中、私たち供養する側が家族としてお見送り出来ていないということは非常に悲しいことです。
ですので建宗寺では供養を通して故人、家族、ペットのみんなが幸せになれるようなお時間にして行きたいと思ってます。
まだまだ、ペット=家族と呼ぶには足りてないことが多いと思います。
私たちは供養の立場から本当の意味で動物と人間が共存できる社会を作れるように精進して参ります。