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副住職から

副住職から

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こんにちは。先日私と住職のこれまでや想いを専門の方がまとめてくださいました。せっかくなので、ここでもご紹介していきたいと思います。興味ない方も多いとは思いますがお付き合いくださいませ。今回はまず副住職からご紹介していきます。

・なぜ建宗寺を継ぎ、この世界に入ることになったか

私はいま、建宗寺の後継として毎日お勤めに励んで います。「お寺を継ごう」と決意したのは25歳のとき。 何をして生きるかではなく、どんな想いで生きるかが 重要だ、ということに気づいたからです。 建宗寺では、人とペットが同じ場所に眠る「樹木葬」 や、ペットを人と同じように供養する「ペット葬」を行っています。こうした取り組みを行っているのは、 悲しみにくれる方々の〝生きる支え〟になりたいという想いがあるから。死を通して「大切な人といっしょにいられる有り難さ」を感じられる場をつくりたいという情熱が、私を突き動かしています。

・いったい誰のために働くのか

かつて私は、寺とは無縁の生活を送っていました。 小学生のころからスポーツ少年で、大学生の時はハンドボールで全国準優勝を経験。卒業後は人材派遣会社 に就職し、朝から晩まで営業で走り回っていました。 過酷な職場でしたが、仕事自体は楽しいものでした。しかし、なかば強引に人材を紹介する当時の業界体質に疑問を持ち、「いったい誰のために働いているんだろう」と悩むようになりました。どうせ仕事をするなら、自分も相手も喜ばせる仕事に就きたい。そう考えていたとき、父から「寺を継ぐ気はないか」と告げられました。父は、僧侶と歯科医の二足のわらじで建宗寺を支えてきました。その想いがどんなものだったか。そこに気づいたとき、私は父のすごさに感動しました。そして「寺の息子として生まれた自分にしかできないことがある」と考えたのです。

・修行中にあった人生のターニングポイント

私は僧侶となるため、他の寺で半年間修行しました。ところが、それがあまりに厳しく、1週間で逃げ出 したくなりました。そんなある日、母が私の大好物で あるシュークリームを差し入れてくれました。 「いいお母さんですね」。先輩の僧侶にそう言われたとき、涙がこみあげてきました。修行に出る前は、冷蔵 庫にシュークリームがあるのが当たり前でしたが、苦しい修行の場でのシュークリームは、どんな物よりも有り難いものでした。「当たり前だと思っていたことは、当たり前ではないんだ。すべてが有り難いことなんだ」。そんな感謝の念がわき上がってきました。

・お寺の存在する意味

多くの方は「寺は亡き人のためにある場所」と思われているかもしれませんが、私は、お寺は生きている人のためにあると思っています。葬儀後、ご遺族に法 話をしたとき、「良い話を聞けて目の前が明るくなり ました」と言っていただいたことがあります。お経だけでなく、人の心を救う法話が、今を生きる方に必要 だと感じています。 全国にあるお寺は、コンビニよりも多いといわれています。ここが「感謝が芽生えて気持ちがラクになる 場」になれば、多くの人の助けになると思います。心の響く法話を届け、皆様に「ここが必要だ」と思っていただけるよう精進致します。

最後まで読んでいただきありがとうございました。自分で読んでみても初心を忘れないように日々努めないといけないなと思いました。皆様も自分のエピソードや、大事にしている想い出、言葉たくさんあると思います。人間は忘れてしまう生き物です。一度こうしてなにかにまとめてみたり、思い出す時間を設けてみてはいかがでしょうか。もしかしたら、改めて思い出してみるとそのときに感じたこととは違うことを感じるかもしれません。自分のルーツを知り、今後の人生に生かしてみてください。