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僧侶紹介

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曹洞宗 建宗寺 二十七代目 舟橋正樹(ふなはししょうじゅ)と申します。

建宗寺は元々檀家制度だけで成り立つ寺院ではなかったですので、先代は愛知高校の教師をしておりました。私も歯科医と住職の2足の草鞋を履いておりまして、住職暦は30年になります。

生まれてからずっとこの地で育ち、子供の頃から祖父に住職の道を引かれていたように思います。

私の基因は二十五代曾祖父から受け継いでおり、尽くすことが命題になっております。祖父が二十六代目になります。

祖父の後を継ぎお寺を守ってきました。これからお寺経営が益々困難な時代になりますが、建宗寺では跡取りを育て、お寺が受け継がれていくように伽藍の整備をしました。

副住職 舟橋憲吾
こんにちは。建宗寺僧侶の舟橋憲吾(ふなはしけんご)と申します。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は monks02.png です
私は長男として育ちましたが、学生の頃は部活動に熱中しており、大学卒業までお寺のお手伝いなどは全くしておりませんでした。

その頃は、自分が将来住職になるということなどは考えておらず、大学卒業後も営業職として一般企業に就職しました。

就職し働いて初めて、父が歯科医と住職として長年勤めてきたことの偉大さを理解することができ、私自分もお寺を守っていく決意をしました。

その後、覚王山にある日泰寺にて修行を積み重ねました。今までと全く違う世界で戸惑いもありましたが、私にとって日泰寺での経験はとても大事な財産になりました。

またこの世界に入ることで、「宗教で、もっと多くの人の気持ちを楽にできる」と実感じました。しかし、現状は「お寺離れ」、「墓じまい」など、お寺や宗教を取り巻く環境は良いとは言えません。「お寺は敷居が高い」と思われている方も、多くいると思います。私はそこをなんとかしたい、と考えました。

そこで住職と話しをし、「樹木葬」や「ペット葬儀」、「本堂葬儀」など時代の変化に合わせ、今の時代のニーズや、皆様の想いに応えられる形の供養を形にするために日々研鑽しております。

また、お墓参りに家族で行きたい!と思ってもらえるよう、様々な企画を今後も展開していきたいと考えております。

お祭りなど、地域のお子さんやご家族が楽しめる活動なども始めます。皆様の中には、供養ってなに?必要なの?どんな葬儀が正しいの?など、分からないことや不明がことが多いと思います。そんな疑問を払しょくし、お寺と地域との距離をも一度近づけて親しみやすい、近づきやすい場を作ってまいります。

建宗寺では、皆様に納得し理解し後悔のない供養が出来るよう、日々精進おります。私はお寺が出来ることは何かを追求し、多くの方に寄り添うことが出来たら、とても幸せに思います。

諸行無常

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この言葉は、「永遠に同じなものは何もない」と簡単に説明するとこのような意味になります。皆様は日常の中で、無常だなと感じることはありますか?
この言葉の意味を感じることは少ないように感じます。しかし、供養の時間、葬儀の時間は違います。人生の中で、「死」というものを大きく感じる局面です。そのとき、「諸行無常」であることを感じてもらうことが私たちの大きな役目であると思っています。その時間の中で、無常を感じれたとき、「自分が生かされていること」、「いろいろな方が自分の周りにいてくださること」、もっと言えば、食事や仕事も当たり前でないこと。これを感じることで身の回りのことを有難いと思える自分に出会えたとしたならば今ある「生」が「死」という局面でより尊い方へ導けるのではないかと思っております。そんな供養のお時間になるよう建宗寺では、皆様に寄り添えるよう精進して参ります。

先日のマルシェ

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先月の10月24、25日に建宗寺でマルシェ開催していただきました。目的としては、地域の方をはじめ大人から子供まで多くの方にとって気軽に足を運んでいただき楽しんでもらえる場所になればと思ったからです。2日間で家族で来てくださる方や、檀家様、地域のみなさまがお寺に来ていただき笑顔を見ることが出来ました。私たちにとってもすごくうれしいことです。これから毎月開催する予定なのでご興味のある方はぜひお越しください!おいしい食べ物と企画をご用意してお待ちしています。

供養の意味 ~四十九日編~

お寺葬儀, ブログ

四十九日までの間に七日毎の法要があります。
最初の初七日を「初願忌」といい、「故人の恩に報いるため、残された私たちで仏の教えに努めよう」という誓いです。その後の二七日を「以芳忌」といいます。芳という字は故人の生前の素晴らしい行いや積まれた徳を表していて「故人の今生も良い面を引き継く」という誓いになります。三七日は「洒水忌」といいます。水で洗い清めるという意味です。「もっとああしておけば、どうして死んでしまったのか、後悔の残らないように洒水をする戒めのタイミングになります。四七日は「阿経忌」といいます。阿とは従うということです。仏の教えに従うという誓いです。五七日は「小練忌」といいます。練とは気持ちの整理の度合いを表しています。故人の死を深く背負い続けるのではなく、すべての命が死を迎えることをきちんと理解をしましょうという教えになります。六七日は「檀弘忌」といいます。檀は施しのこと、弘は広くという意味になります。故人の死から教えてもらったことを踏まえ、多くの人に「人の悲しみがわかり、優しい人間であれるように」という誓いです。最後の七七日、四十九日と同じときですが、「大練忌」といいます。しっかりと気持ちの整理がつき、忌明けを迎えた旅立つ故人に感謝で送る日になります。また、百か日、約三か月ちょっとのタイミングを「卒哭忌」といいます。卒は終える、哭は声をあげて泣くということです。
百か日には声をあげて泣くことを終えて、故人の為、自分の為に人生をよく生きてください」という日です。
今ではこの法要を七日毎に行う家庭もかなり減りました。しかし、忘れないで欲しいこと大事にして欲しいことは、中身を理解することで故人、自分とどう向き合うかだと思います。時代がいくら変わっても「自分」という存在が父親、母親、おじいちゃん、おばあちゃんとつないでもらって今があること。「人間」という存在が他の生物からエネルギーを頂きこの環境で共存していることは変わりません。故人も生前、生きていることが「当たり前」の存在であったと思います。そんな当たり前が死を迎え今日という日を迎えています。「今」という時間、「当たり前」を「当たり前」と思わず感謝や施しの精神をもてるか。四十九日までに至るまでには、そこに気付き故人への想いを表現するプロセスがあります。
それは決して故人の為だけではありません。残された皆様にとってそんな当たり前に気付けたとき今までとは違った景色が見えると思います。隣にいてくれる方、日々食べる食事、何気なく使っている携帯電話など。そんな一つ一つのものから感謝出来るようになると毎日が晴れやかな気持ちで過ごすことが出来ます。「幸せ」とはやっかいなことに「見つけられる人」しか見つけられません。故人から教えてもらった今という尊さに気付き改めて「ありがとう」と伝えましょう。

住職 ご挨拶

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曹洞宗 建宗寺 二十七代目 舟橋正樹(ふなはししょうじゅ)と申します。

建宗寺は元々檀家制度だけでは成り立つ寺院ではなかったですので、先代は愛知高校の教師をしておりました。私も歯科医と住職の2足の草鞋を履いておりまして、住職暦は30年になります。

生まれてからずっとこの地で育ち、子供の頃から祖父に住職の道を引かれていたように思います。

私の基因は二十五代曾祖父から受け継いでおり、尽くすことが命題になっております。祖父が二十六代目になります。

祖父の後を継ぎお寺を守ってきました。これからお寺経営が益々困難な時代になりますが、建宗寺では跡取りを育て、お寺が受け継がれていくように伽藍の整備をしました。

建宗寺のペット葬儀

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建宗寺ではペットも家族同様に葬儀・火葬・納骨までの供養を以下の費用で執り行います。また、個別葬儀のプランしかご用意しておりませんのでご注意下さい。

建宗寺のペット葬儀の費用(お布施)
個別供養
プラン内容 一家族ごとの供養
お葬式 ¥25,000
火葬 ¥10,000
※大型犬は¥20,000
納骨(永代供養)※希望者のみ ¥30,000(年間管理費用も含みます)
合計料金(納骨なし) ¥35,000~
合計料金(納骨あり) ¥65,000~
※火葬料金に関してわからない方はお問い合わせください。
※葬儀・火葬・納骨に関して、上記以外に発生する費用は一切御座いません。
※すべて税込み価格です。

建宗寺だからできる供養方法
【1】愛知西部・名古屋西で唯一、お寺が葬儀から納骨まで一貫して対応

【2】人と同じ供養・葬儀を本堂内にて執り行う

【3】ペット専用の火葬設備にて、お寺内にて火葬ができる

【4】他の家族との合同葬ではないので、家族だけの空間でお見送りが出来る

【5】当日受付~納骨終了まで最短90分、日中や夜間の時間帯も選べる

【6】超大型犬までもが火葬対応可能(もちろん、猫や小型犬にも対応)

建宗寺が選ばれている理由
【理由1】名古屋駅から車で15分、駐車場16台完備という好立地

【理由2】葬儀にかかるオプションはなく、わかりやすい料金体系

【理由3】ペットと家族が一緒に同じお墓に入れる樹木葬も選択可能

【理由4】いつでもペットのお参りができる納骨堂を完備

【理由5】宗教不問、どんな方でもお申込みができる

建宗寺の歴史の概要

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建宗寺(けんそうじ)は「尾張徇行記」には創設不伝とありますが、報告によれば「平安時代は天台宗、鎌倉中期より禅宗に転派したもの」と、もともとは平安時代に遡ります。

そして、室町時代、松葉城主の安井将監秀勝(霊光院殿安叟一明(居)士)が、文明三年(1471)安井家の菩提寺として正式に永平侃禅師を招き法地開山とし、この地域の古本寺となりました。

陶屋禅師を初代とし、常安寺の末寺となり、爾来500年、当住職で27代目となる」と、大治町史にございます。

住職の歴史と振り返り

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「住職の歴史と振り返り」

私は祖父から住職を引継ぎましたので、住職になったのはまだ20代でした。間もなく祖父は他界し、全て責任を負うことになります。
いま思えば業界では早すぎる状況でした。
何せ住職になるというのはお坊さんとして一人前になってからなるもので、まだ人間的に未熟な者が拝命する事ではないのです。
 何も知らないというのはある意味無謀で常識を逸脱し、普通では考えられないことが起こります。
 その時恩師から言われたことは、順番に積み上げてから立場を得るのが普通なんだが、あんたは立場が先についてしまった。これがいいか悪いかはわからないが後から力をつけていかなければならなくなったね。と。その時はよくわからなかったのですが、この歳になってあの時に言われた意味をようやく理解できます。
 今までとにかくお寺を守ること、目の前にある事に対しては、一生懸命に取り組んできました。こうするしか私には手段が見つからなかったので、そうしてきました。あの時の恩師はいまの私をどう評価するのだろうかと思うことがあります。評価というものは所詮人がするものです。特別道を踏み外したわけでもなく、今もお寺の住職として変わらない毎日を過ごしています。

少水の常に流るればよく石を穿つが如し

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「少水の常に流るればよく石を穿つが如し」

今週は一言法話です。意味としては、ポツポツとしか流れない少ない水でも同じところに流れるといつか石にも穴をあける、と言った意味になります。日常生活においてうまくいかないとき、失敗したとき、つらいとき、しんどいとき多々あると思います。しかし、そこでやめずに継続すること。自分の意思、信念をもって続けることで夢や想いは叶えられるということをこの言葉は教えてくれています。仏教の世界ではよく「精進」という言葉を聞きます。「精」=混じり気がなく、嘘いつわりがないこと。「進」=退かない、前を向く。すぐ結果が出なくても前を見続け、自分が決めたことをやり続けることで「岩」にも穴をあけられると幸せですよね。

ないものを求めるより、あるものを数えよう

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本日は一言法話をお届けしたいと思います。最近コロナウイルスの第二波が世界中を混乱に陥れています。こんなときだからこそ気付けることってたくさんあると思います。今日の言葉はそんな想いをもって決めました。普段、日常を過ごしていると、「いい車に乗りたい」、「将来、あんな家に住みたい」、「もっとお金が欲しい」こんな会話をすることありますよね。これは「今、自分にないもの」に対しての会話です。しかし、それの逆「今、あるもの」の会話はなかなか聞くことはないような気がしています。もちろん、なかったものを手に入れる、これも1つの「幸せの形」だと思います。しかし、それと同時に今あるものに気付くことも「幸せの形」です。また、この幸せの形は「ありがとう」も作ります。毎日、食事がたべられること「ありがとう」、あたたかいお風呂、シャワーがあること「ありがとう」、今元気に働けること「ありがとう」。僕はこう考えています。「なにかあるから幸せ」なのではなく「自分が幸せなことに気付くことが出来るから幸せ」であると。この考え方を仏教から学んで以来、身の回りのもの、日常のあらゆる場面に多くの幸せが隠れていることがわかりました。考え方、見るもので、日常は驚くほど景色を変えます。コロナウイルスは、もしかしたら僕たちが忘れかけている、そんな日常の尊さを伝えようとしているのかもしれません。こんな時期だからこそ、「ないもの」ではなく「あるもの」に目をむける力を身につけるきっかけになればと思っています。