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住職の歴史と振り返り

住職の歴史と振り返り

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「住職の歴史と振り返り」

私は祖父から住職を引継ぎましたので、住職になったのはまだ20代でした。間もなく祖父は他界し、全て責任を負うことになります。
いま思えば業界では早すぎる状況でした。
何せ住職になるというのはお坊さんとして一人前になってからなるもので、まだ人間的に未熟な者が拝命する事ではないのです。
 何も知らないというのはある意味無謀で常識を逸脱し、普通では考えられないことが起こります。
 その時恩師から言われたことは、順番に積み上げてから立場を得るのが普通なんだが、あんたは立場が先についてしまった。これがいいか悪いかはわからないが後から力をつけていかなければならなくなったね。と。その時はよくわからなかったのですが、この歳になってあの時に言われた意味をようやく理解できます。
 今までとにかくお寺を守ること、目の前にある事に対しては、一生懸命に取り組んできました。こうするしか私には手段が見つからなかったので、そうしてきました。あの時の恩師はいまの私をどう評価するのだろうかと思うことがあります。評価というものは所詮人がするものです。特別道を踏み外したわけでもなく、今もお寺の住職として変わらない毎日を過ごしています。

少水の常に流るればよく石を穿つが如し

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「少水の常に流るればよく石を穿つが如し」

今週は一言法話です。意味としては、ポツポツとしか流れない少ない水でも同じところに流れるといつか石にも穴をあける、と言った意味になります。日常生活においてうまくいかないとき、失敗したとき、つらいとき、しんどいとき多々あると思います。しかし、そこでやめずに継続すること。自分の意思、信念をもって続けることで夢や想いは叶えられるということをこの言葉は教えてくれています。仏教の世界ではよく「精進」という言葉を聞きます。「精」=混じり気がなく、嘘いつわりがないこと。「進」=退かない、前を向く。すぐ結果が出なくても前を見続け、自分が決めたことをやり続けることで「岩」にも穴をあけられると幸せですよね。

ペット葬儀の選び方

ペット葬儀

ペット葬儀と一口に言ってもたくさんの会社様、寺院があります。また、そこで行われる供養も多様です。建宗寺にも多くの方からご意見、ご相談いただくので、ここでお答えしていきたいと思います。

①家族としてお見送りしたい方向け
一般的な人の葬儀は、葬儀・火葬が執り行なわれます。葬儀というのは寺院、僧侶が執り行なうものです。ですので、民間の火葬会社様のスタッフが葬儀を行うことはないと思います。寺院、僧侶にお願いするのが良いでしょう。ただし、ペット葬儀をする寺院というのはあまり多くはありません。お墓も希望される方は事前にその寺院にペットのお墓も用意してくれるか確認も必要です。また、葬儀後も命日にお経を読んで欲しい方はその確認も必要です。
※遺骨の返却可能

②家族として見送りたいけど火葬で充分という方向け

現代では出張火葬というサービスがあります。民間の火葬会社様の多くはこれに該当すると思います。ご自宅の近くまで来てもらうことができるありがたいサービスだと思います。ただし、提携寺院や、霊園等がないと納骨する場所を別で探さないといけなくなる恐れはありますのでご注意ください。
※遺骨の返却可能

③家族として見送りたいけど費用も気になる

寺院、民間の火葬会社に関わらずペットの一般的な供養として合同供養というものがあります。これは、何体かのご家族様が一緒に火葬や葬儀を行うものです。個別で供養を行うよりも当然費用を抑えることができます。ただし、遺骨が返ってこない可能性や後で後悔することもあるようです。
※遺骨の返却不可の場合もあり

④とにかく費用を抑えて供養したい

その場合は、公共の火葬施設にお願いするのが良いでしょう。近くの自治体で行っている場所を調べてそこにお願いすると、1000円〜10000円程の金額で火葬してくれるところもあるようです。しかし、遺骨は返ってこないこと、飼い主さんによってはその時、悲しい想いをされている方もいます。

※遺骨の返却不可の場合あり

いかがでしたでしょうか。
いくつかお話ししましたが、僧侶の立場である私が1番大事だと思うのは、どれだけペットを含めた家族に寄り添ってくれる姿勢だと思います。私たちにも供養の現場で多くの後悔を打ち明ける方がいます。最期のお見送りの時間はかけがえのないものです。後悔なく、家族で見送れたと思える供養であれば私はどこを選ばれても問題ないと思います。ご家族様でしっかりお話しし、幸せな供養になることを心より祈っております。

今週の樹木葬の進捗状況

樹木葬

今週の工事の進捗

7月の頭から始まった樹木葬 おおはる庭園の工事の8月1日時点の写真です。樹木葬の通路はだんだんと完成に近づいております。今年は雨の影響も大きく若干遅れは出ていますが順調に進んでいるみたいです。お花がないとちょっと寂しいですね。

葬儀はなぜ執り行うのか?

お寺葬儀

葬儀はなぜ行うのでしょうか。私たちの宗派でいうと大きく分けて2つあります。1つ目は別れを行う告別式。もう1つがお釈迦様のお弟子になる授戒と、引導法語を行う仏教としての儀式です。もともとは告別式と葬式は別のものでしたが、現在では一緒に行うことの方が一般的です。お釈迦様のお弟子になるためのお名前がいわゆる戒名です。引導法語とは、この世からあの世に引き渡しを行う儀式です。お葬式というのは大きくいうとこの要素で出来ています。当然僕らもこの儀式にはお坊さんとしてよく立ち会わせて頂いています。そのたびに僕自身も感じ、教えて頂くことがあります。仏教のなかの大事な教えの一つに「諸法無我」という言葉があります。「すべての物事はお互いに影響をおよぼしあっていて独立して存在するものはない」とこんな意味です。もちろん人は一人では生きていけないですし、今この自分という存在も地球の歴史の中で様々な奇跡の上で成り立っているということは間違いなく言えるでしょう。独立して存在できないものはそのようなつながりだけでなく、目に見えないもの、難しく言うと「概念」にも言えます。それは、「死」にも通じます。死という概念も「生」という概念があり初めて存在します。死というものは多くの悲しみ、苦しみのイメージが強いと思います。その反面、死というものは今こうして自分が存在していることの尊さ、ありがたさに気付くタイミングでもあると思います。私は葬儀は故人のためだけのものとは思っていません。仏教は言い換えると幸せの教えです。供養を通して故人には安心とや安らぎを、遺族の方にはありがとうを通して幸せになってもらう時間です。死を表す言葉に「息を引き取る」という言葉があります。これはお亡くなりになる際は息を吸うときに亡くなることからきているみたいです。あと一つ今日ご縁があって来て下さった方々が志、想いを引きとる、引き継いでいく意味でもあります。皆さんで故人の想いを引き継いで守ってくださることを祈って私からのお話とさせて頂きます。