葬儀を執り行う意味
葬儀はなぜ行うのでしょうか。私たちの宗派でいうと大きく分けて2つあります。1つ目は別れを行う告別式。もう1つがお釈迦様のお弟子になる授戒と、引導法語を行う仏教としての儀式です。もともとは告別式と葬式は別のものでしたが、現在では一緒に行うことの方が一般的です。お釈迦様のお弟子になるためのお名前がいわゆる戒名です。引導法語とは、この世からあの世に引き渡しを行う儀式です。お葬式というのは大きくいうとこの要素で出来ています。当然僕らもこの儀式にはお坊さんとしてよく立ち会わせて頂いています。そのたびに僕自身も感じ、教えて頂くことがあります。仏教のなかの大事な教えの一つに「諸法無我」という言葉があります。「すべての物事はお互いに影響をおよぼしあっていて独立して存在するものはない」とこんな意味です。もちろん人は一人では生きていけないですし、今この自分という存在も地球の歴史の中で様々な奇跡の上で成り立っているということは間違いなく言えるでしょう。独立して存在できないものはそのようなつながりだけでなく、目に見えないもの、難しく言うと「概念」にも言えます。それは、「死」にも通じます。死という概念も生という概念があり初めて存在します。死というものは多くの悲しみ、苦しみのイメージが強いと思います。その反面、死というものは今こうして自分が存在していることの尊さ、ありがたさに気付くタイミングでもあると思います。私は葬儀は故人のためだけのものとは思っていません。仏教は言い換えると幸せの教えです。供養を通して故人には安心とや安らぎを、遺族の方にはありがとうを通して幸せになってもらう時間です。死を表す言葉に「息を引き取る」という言葉があります。これはお亡くなりになる際は息を吸うときに亡くなることからきているみたいです。あと一つ今日ご縁があって来て下さった方々が志、想いを引きとる、引き継いでいく意味でもあります。皆さんで故人の想いを引き継いで守ってくださることを祈ってます。