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新年の抱負と目標を立てる意味

新年の抱負と目標を立てる意味

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こんにちは。新年があけましたが、みなさんは今年の目標や抱負は決めましたか?私の今年の目標は「おもてなし(表無し)の心で日々精進する」です。僕らの世界のことで説明すると、「檀家さんがいるからお経をしっかり読む」、「みてないから手を抜く」ではなく誰かが見てる、見ていない関係なく、裏表なく今自分に出来ることを精一杯取り組んでいきます。当たり前のことのように感じると思いますが、以外と難しいことだと思います。きれいごとに聞こえる方もいると思います。ですが、仮に誰も見ていなくても自分自身はいつも自分を見ています。そのときの自分は許しても未来の自分が納得するとは限りません。あのときもっとこうしておけばよかったなど後で後悔しないように今年はより一層意識して「今」を大事にして行動していけたらなと思います。みなさんにもぜひ目標をたてていただきたいなと思います。大きい、小さい、ジャンルはなんでも構いません。目標や夢というのは道しるべのようなものです。仏教では、「一切皆苦」(人生は思い通りにならず、多くの困難がある)ことを知ることが大事とされています。苦しみというと多少言葉が重いような気もしますが、この苦しみに合ったときにどう向き合い、どう乗り越えるか。その乗り越え方の一つに目標や夢があります。自分の中で大事にできる目標が定まっていたら、仮に困難な状況に合ったとしても、こう生きよう、これを目指そうと頑張れると思います。ですので、目標をたて自分自身の道しるべを作ってください。また、せっかくなので、もう一つ悲しみや苦しみの乗り越え方もお伝えします。一度考えてみてください。「悲しみ」、「苦しみ」ってなんだと思いますか?また、どう作られていると思いますか?答えは、「自分の心」が感じ、作っているものです。職場や人間関係でうまくいかなかったときに「あいつは嫌なやつだ」、車を運転していて割り込み運転をされて「危ないな、ばかやろう!」、したくないことをしなくてはならない状況のときに「やだなあ」これらすべての感情は自分の心が作っています。逆に言えば、自分の心のもちようでマイナスの感情はプラスに変わります。私自身、そのことに修行を通して教わりました。修行の時間は食事のときには無言で、野菜中心のものをいただき、当然携帯電話や電化製品はなく、冬でも基本的には靴下もはけない時間もあります。恥ずかしい話ですがその時間を過ごしているときの自分は、そのことをストレスに感じて、何度も逃げ出したいと思ってしまっていました。しかし、修行をおえて、実家に戻って母の手料理を食べたときに涙が出るくらい美味しかったのを今でも忘れません。久しぶりにとる友人との連絡もとても幸せなものでした。そのとき、「なにかを得るから幸せ」ではなく、「今、周りにあるものの尊さに気付くだけでこんなにも幸せになれる」ということを教わりました。日々の中で感じるストレスも捉え方次第ではないでしょうか。仕事でうまくいかなかったときに「仕事をさせてもらっていることがありがたい」、運転が危ない方に出会ったときに、「急いでいるなら自分から譲ろう」、したくないことも、「自分の成長につながる」、「とにかく何でもやってみよう!」など、そう考える自分を作ることが出来たとき日々のストレスは劇的に減ります。私の思うコツは、自分がイライラ、悲しいと思うことがあったときに自分が「その感情」を抱いていることをまず自覚してみることです。「あれ今イライラしてるぞ」と気付けば、なんでこんなことにイライラしてるのかな、くだらないことに腹をたててもしょうがないなと自分自身に言い聞かせることができると思うので一度ぜひやってみてください。昨年は、コロナという大変な時代を迎えました。だからこそ、気付けることもたくさんあります。どう生きるか、なにを大事にするか新年の始まりのいいタイミングですのでゆっくり考えてみてください。遅れましたが、本年もどうぞ宜しくお願い致します。