ないものを求めるより、あるものを数えよう
本日は一言法話をお届けしたいと思います。最近コロナウイルスの第二波が世界中を混乱に陥れています。こんなときだからこそ気付けることってたくさんあると思います。今日の言葉はそんな想いをもって決めました。普段、日常を過ごしていると、「いい車に乗りたい」、「将来、あんな家に住みたい」、「もっとお金が欲しい」こんな会話をすることありますよね。これは「今、自分にないもの」に対しての会話です。しかし、それの逆「今、あるもの」の会話はなかなか聞くことはないような気がしています。もちろん、なかったものを手に入れる、これも1つの「幸せの形」だと思います。しかし、それと同時に今あるものに気付くことも「幸せの形」です。また、この幸せの形は「ありがとう」も作ります。毎日、食事がたべられること「ありがとう」、あたたかいお風呂、シャワーがあること「ありがとう」、今元気に働けること「ありがとう」。僕はこう考えています。「なにかあるから幸せ」なのではなく「自分が幸せなことに気付くことが出来るから幸せ」であると。この考え方を仏教から学んで以来、身の回りのもの、日常のあらゆる場面に多くの幸せが隠れていることがわかりました。考え方、見るもので、日常は驚くほど景色を変えます。コロナウイルスは、もしかしたら僕たちが忘れかけている、そんな日常の尊さを伝えようとしているのかもしれません。こんな時期だからこそ、「ないもの」ではなく「あるもの」に目をむける力を身につけるきっかけになればと思っています。