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四十九日法要の意味

四十九日法要の意味

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こんにちは。今週はよく聞く四十九日についてお話しをさせていただきます。あまりなじみのない方も多いとは思いますが、実は四十九日の法要だけではなく、そこに至るまでの間、七日毎にも法要があります。では、それぞれどんな意味があるのか。法要の名前も含めてご説明していきます。最初の初七日を「初願忌」といい、「故人の恩に報いるため、残された私たちで仏の教えに努めよう」という誓いの時期になります。その後の二七日を「以芳忌」といいます。芳という字は故人の生前の素晴らしい行いや積まれた徳を表していて「故人の今生の良い面を引き継く」という誓いになります。三七日は「洒水忌」といいます。水で洗い清めるという意味です。「もっとああしておけば、どうして死んでしまったのか、後悔の残らないように洒水をする戒めのタイミングになります。四七日は「阿経忌」といいます。阿とは従うということです。仏の教えに従うという誓いです。五七日は「小練忌」といいます。練とは気持ちの整理の度合いを表しています。故人の死を深く背負い続けるのではなく、すべての命が死を迎えることをきちんと理解をしましょうという教えになります。六七日は「檀弘忌」といいます。檀は施しのこと、弘は広くという意味になります。故人の死から教えてもらったことを踏まえ、多くの人に「人の悲しみがわかり、優しい人間であれるように」という誓いです。最後の七七日、四十九日と同じときですが、「大練忌」といいます。しっかりと気持ちの整理がつき、忌明けを迎えた旅立つ故人に感謝で送る日になります。また、百か日、約三か月ちょっとのタイミングを「卒哭忌」といいます。卒は終える、哭は声をあげて泣くということです。百か日には声をあげて泣くことを終えて、故人の為、自分の為に人生をよく生きてください」という日です。それぞれざっくりご説明させていただきました。難しく感じる供養の名前も多いと思います。今ではこの法要を七日毎に行う家庭もかなり減りました。しかし、忘れないで欲しいこと大事にして欲しいことは、中身を理解することで故人、自分とどう向き合うかだと思います。時代がいくら変わっても「自分」という存在が父親、母親、おじいちゃん、おばあちゃんとつないでもらって今があること。「人間」という存在が他の生物からエネルギーを頂きこの環境で共存していることは変わりません。故人も生前、生きていることが「当たり前」の存在であったと思います。そんな当たり前が死を迎え今日という日を迎えています。「今」という時間、「当たり前」を「当たり前」と思わず感謝や施しの精神をもてるか。四十九日までに至るまでには、そこに気付き故人への想いを表現するプロセスがあります。それは決して故人の為だけではありません。皆さんの中にもお気づきの方がいらっしゃると思いますが、上記で挙げた供養の名前、意味は「故人」に向けたものではなく、今生きている「私たち」に向けた、教えであったり、心構えであったり、悲しみを和らげるものです。供養を通して、何を感じ、どう人生に生かすかというのがとても重要です。「供養」や「葬儀」の時間は日常の当たり前の時間の尊さが浮き彫りになるタイミングです。残された皆様にとってそんな当たり前に気付けたとき今までとは違った景色が見えると思います。隣にいてくれる方、日々食べる食事、何気なく使っている携帯電話など。そんな一つ一つのものから感謝出来るようになると毎日が晴れやかな気持ちで過ごすことが出来ます。故人から教えてもらった今という尊さに気付き改めて身の回りの方に「ありがとう」と伝えましょう。毎日の「ありがとう」が増え、気持ちの良い毎日をお過ごしください。